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世界地図から陽が昇る

会社員兼料理文献研究家遠藤のブログです。音食紀行(http://onshokukiko.com/wpd1/)を主催。好奇心に基づいて色々書き綴ります。

2016年は走ろう!【前編】~私と陸上競技履歴書~

ランニング

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 こんにちは。昨日、ブログ再デビュー(大昔に書いていて3日で終わった...)しまして、本日が2日目です。まずは3日坊主を目指します!

 ブログの中身に入る前にこの当タイトル「世界地図から陽が昇る」って自分で言うのもなんですが長いですね(笑)。遠藤のブログまたはセカヒガ(せかいちずからひがのぼるの略)とでも覚えていただければ幸いです。

  さて本日1月2日は箱根駅伝往路の日ですね。

関連するエントリーといたしまして、ランニングについて書いてみようと思います。

学生時代は陸上部長距離:長距離は楽しいと感じた小学時代

 ランナーさんのブログを読むと、運動はずっと不得手で学生時代は全くスポーツをやっていなかったのに、ふとランニングに出会いみるみるハマってヘビーランナーへという話が多くみられます。

 私にとっては、実は走ることは昔から行なっていました。陸上競技、球技、水泳はクラスで中の中でしたが、どうやら有酸素運動は苦にならないタイプでマラソン大会では小学校時代は3位以内をキープし、市内の大会では1000m走で8位入賞を収めるなどもう部活だったらこれしかないというくらい陸上長距離の道、一直線でした。

学生時代は陸上部長距離:貧血に苦しんだ中学時代

 ただ、中学に入り成長期なのに食事をあまり摂らないで陸上部の練習に参加していったら、鉄欠乏性の貧血となり、走れないどころか一般の生活を送るのも苦しいほどになりました。どのくらい酷いものかというと走ったら100m程度のジョグで息切れ。1500m走を走ったら、まさかの7分台。坂道は登れず歩きながら進んで先生に怒られるなど地獄の日々でした。その後、原因をつかみたいという思いで自分の症状を理解してもらえる病院に行き当たり、ようやく鉄欠乏性貧血だと判明しました。

 鉄欠乏性貧血の対策と治療についてはフェリチン(貯蔵鉄)不足を解消するところから始まりましたので、鉄分の多い食事を摂る、鉄分、ビタミン、カルシウムのサプリを摂る。当面は走らず、数値を回復するということで進めていきました。

鉄欠乏性貧血の治療については下記のサイトなどが詳しいです。

nazenani-komichi.net

www.byouin.metro.tokyo.jp

 

 結局、中学校では中1夏期部活まで全体でも10位以内、夏合宿以降貧血発生で生活に支障が出るレベルまで下降し、中2の秋に鉄欠乏性貧血と判明し治療。中2の冬から復活し、中3では自己記録を更新し校内10位以内に入りその地区の駅伝大会に出場しました。

中学自己記録:800m 02m10s, 1000m 02m50s, 1500m 04m25s, 3000m 09m50s

 ウン10年前の自分の記録を思い出しながら書きました。自慢するにはほど遠く長距離やっていた方には鼻で笑われる記録でまったく市内で入賞するレベルではありませんでしたが、地獄を見た後に体調を自分の手で取り戻し記録をどんどん叩きだし、憧れだった駅伝部のレギュラーをつかんで駅伝大会に出場できたのはとてつもなく嬉しかったです。このような上昇カーブを描いて中学は終わった感じです。

 

学生時代は陸上部長距離:距離増とスピード増で白旗を上げた高校時代

 上昇カーブで幕を閉じた中学長距離生活なので、高校でも更に自分を高めていき、自己記録を更新したり、駅伝部のレギュラーとなって活躍できればと思ったのですが、それはなかなかうまくいきませんでした。

 県内で3番目に強く推薦入試で早くタフな選手を入れている高校に進学したため、練習の質と量が中学とは段違いでした。中学では緩く練習できたのです。緩いというのがミソで私は練習量が多すぎると貧血に陥ってしまい、かといって練習量が少なすぎると走り込みが足らず、レース終盤で集中が切れてしまうため、自分の感覚で練習量と貧血度合いから調整していたのでした。中学の先生も自分の調整法を理解してくれていたのでした。

 一方、高校ではまず体育会の洗礼です。とはいえ、陸上部ですので野球部サッカー部ラグビー部ほどの先輩後輩の熱い絆や契りはありませんでしたが、連帯責任や一糸乱れずなどを学びました。学んだはいいですが、自分の調整法を認めてもらうのは非常に難しく、強豪校の練習を耐え忍んで受けていました。結果、貧血はもちろん疲労骨折を起こすなどほとんど練習に出られなかったのを覚えています。一番つらかったのは鉄欠乏性貧血を理解されず、部活の同級生からサボっているような目で見られていたことでしょうか。結局高2の秋で途中で辞めてしまいましたが、今の自分があの当時の状況で活路を見出すにはどうすればよかったかなどは今も想定の一つとして考えています。挫折ともいいますし妥協ともいいますし後悔や残念もありますが、このような玉虫色の状態で陸上部からドロップして学生陸上生活に別れを告げました。

 途中で辞めた高校陸上部でしたが、鉄欠乏性貧血の対策は何も行わなかったわけではありません。当時の長距離の先生にすべての情報を打ち明けて病院を紹介していただきました。それが、現在国立スポーツ科学センター(JISS)のメディカルセンター(当時は参宮橋にあった国立オリンピック記念青少年総合センターのメディカル施設)でした。ここで国の強化選手のリハビリを行うとともに病気を抱えるアスリートの治療も行なっていましたので、当時は困ったら参宮橋に行ってました。いい思い出です。

国立オリンピック記念青少年総合センター | 独立行政法人 国立青少年教育振興機構 国立オリンピック記念青少年総合センター

国立スポーツ科学センター

 

余談。

 さて、そんな鉄欠乏性貧血という爆弾を持ち、特にまたハードなスポーツを行わなければ一般の社会人並みの暮らしができるよと医者から言われた私が、このような経歴の先に市民ランナーとして復活し、そして2016年また新たに走ろうと思い至ったか。後編に続きます。

 余談となりますが本日、箱根駅伝ですね。高校が陸上の強豪校だったので、同級生が当時箱根駅伝に出場して応援に行きました。箱根のコースは魅力的で高低差や地図を見ながら妄想するのも楽しいです。Googleマップでポイント地点を確認するのを下記のサイトで楽しんでいます。

     

 

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